和泉企画局日報

和泉企画局の業務日誌&局長の自由ノートです。

祖父の話

なにがあったかといいますと。


母方の祖父が緊急入院しました。


そういえば最近、デイサービスに行ってないみたいだな、
とは思っていましたが、
よもやそこまでとは思っていませんでした。


今日から少しの間、
いつものようなラーメンを食べに行ったような話や、
TRPGの話、日常的な日記などはしばらく顔を潜めそうです。
少しの間、暗い話が続くでしょうし、
私の思考や気分を紛らわせるための
日記しかつけれそうにありません。


「祖父の話」というタイトルでしばらく続けます。
もし気になる方はタイトルで判断していただけたらと思います。






ヤマ場はもうないのだそうです。
というか、ヤマを迎えるほど体力がないのだそうです。
もとから体格の小さい祖父でしたが、
病室のベッドの上に寝る祖父の体は、
もっともっと小さく感じられました。
聞いた話によると40kgもないんだとか。


今日は朝から病院で半日過ごしました。
病院も市内の病院なので、出来る限り顔を出そうと思います。
顔を出したからといって、
意識がはっきりしている時間のほうが短いですし、
そもそも痴呆も進んでいたので、
私が誰かすら分からない状態のようです。
名前を名乗っても反応がないか、
あっても「髪を切ったのか」という返事がまず返ってきます。


後ろで束ねていた髪を切ったのは、もう5年以上前の話。


「高校出たから切ったんよ」
「大学はどこになったんや?」
大阪市立大学商学部よう、杉本のキャンパスの」


祖父と私は正真正銘の同窓です。
学部まで同じで。
そう返事をするとうれしそうにうなずいてくれます。
今思えば、それが最後の孝行になってしまった気がします。
次の孝行は卒業で、会社に勤めて、結婚して、ひ孫を連れて。


留年していなければ、
とっくに卒業の報告にいけていました。
留年した分だけ、
いろんな人に会えて、いろんな経験をつんで、
これから卒業するまでそれは続いて、
留年を前向きに捕らえていた私ですが。
私を励ましたり、いろんな機会をくれた人に
今だけはごめんなさい。


留年を心底悔やみました。
留年してから2度目です。
親を目の前に報告したときでも、
迷惑をかけたとは思いましたが、悔やみはしませんでした。
その分得るものがあると信じて。


1度目の時、
相手は「卒業を待つ」と言ってくれました。
今でも待ってくれています。


でも祖父はあと1年半も待てないでしょう。


報告にいけても、
祖父の記憶は上書きされないのかもしれません。
なので、出来なかった後悔しても、
それは残されるほうのエゴでしかないのかもしれません。