和泉企画局日報

和泉企画局の業務日誌&局長の自由ノートです。

進め! 曹涼!

<今日の進軍>
三国志、今日はPC版。三国志Ⅶである。
君主、太守、軍師、武将、在野の5つの身分で楽しめる。
ちなみに昨日のお試しは武将になって戦ってみた。
今日からはオリジナルの武将を作って戦ってみようと思う。
目指すは天下統一である。


姓は曹、名は涼、字は子英。
生まれは174年、出身地は南方の建安である。
孫策孫権のいる呉よりさらに南)
この地域、内陸(南京・重慶方面)に劉一族が頑張っているが、
沿岸部は無政府状態である。


190年7月。
曹涼は挙兵した。わずかに15歳。考えてみればすごい。
「非道なる董卓を排し、天下に安寧をもたらすのだ!」
まずは建安の治安を回復し、人心掌握に努める。
周囲の南海、会稽、柴桑にはまだどの君主の手も伸びていない。
内政方針としては、
(1)農商の開発を優先
(2)農業生産力に合わせたレベルで徴兵・訓練
(3)外交は当面行わない(外交を行う資金もないし)


193年1月。
挙兵して2年半。
北方では洛陽・長安を中心に董卓の勢力が著しく大きい。
袁一族や曹操、西方の馬一族が抵抗している。
一方南部では、劉表、劉焉、孫策陶謙らが小競り合いを続けている。
2年間の努力の甲斐あって、建安の農業・商業は大いに発展した。
やや余裕が出てきたので、本格的に軍を編成し、訓練を開始する。


193年7月。
劉表が柴桑に進駐。これで国境を接することになった。
外交方針として、友好関係を築くことにする。
現状、曹涼1人、動員数20000では勝てるはずもないので、
こびへつらっているとも言う。
翌月、戦勝お祝いの使者を出したところ、
次は貴様だと言わんばかりに使者をつき返された。
諜報活動を行ったところ、劉表はその気になれば
建安に向けて50000の兵力を動員できるとのこと。
開発を中止し、城郭の整備・兵の訓練を優先することにする。


194年8月。
あいかわらず緊張状態は続いているものの、
劉表孫策が全面抗争に突入する気配が濃厚になった。
孫策が南海を占領し、南で孫策とも国境を接することに。
こちらのほうは使者を受け入れてくれたので、
友好関係を伸ばすことにする。


195年5月。
董卓、戦死。
大きな頭目を欠いた董卓勢力は混乱を極めた。


196年5月。
董卓の跡を継いだ牛輔は敗退を重ね、
曹操袁紹、馬一族が北方で勢力を伸ばす。
また楽浪から公孫賛が進出してくる。


197年4月。
領土はともかく人材の不足(というか部下がいない)は深刻。
北上し会稽を占領し、人材を確保したい。
会稽には有力勢力の太守はおらず、無血開城で軍門に下った。
と思いきや、背後から劉表が建安を攻めこれを占領。
守備隊いないもんなぁ、そりゃあっさり陥落するわな。
兵を急いで集め、18000の兵力で6月には建安を攻める。
守兵は40000であったが、錬度は圧倒的に我が軍が上。
野戦に引きづりだし、倍ほどの劉表軍を撃破。
建安を取り戻し、3人の武将を捕虜にするが、
誰一人として降伏せず、登用できなかった。


197年11月。
孫策軍が南から侵入! その兵力は80000!
我が軍の徴兵は遅々としており、14000ほど。
彼我の戦力差は5:1である。
城砦に立てこもり抵抗するも、士気はだだ下がり。
兵力は3000を割り込み会稽へ撤退。
翌月には兵力を整える間もなく、孫策軍が追走してくる。
その数60000、我が軍はわずかに3000。
降伏勧告に従い、孫策の軍門に降る……が、造反の機会を狙う。


198年3月。
造反の時機は以外にあっさり来た。
(1)1月、対陶謙の最前線である会稽で徴兵を許される
(2)2月、後方地域であり、出身地であり、発展した建安に異動となる
(3)3月、建安の太守・斉賀は知己であり内応を持ちかけるとあっさり成功
斉賀の12000、曹涼の14000で、
残った14000の守兵を蹴散らし建安に再び入城を果たす。


198年4月。
南海から孫策の率いる40000が反乱鎮圧軍として侵入。
城砦に立てこもりこれを撃退。
鎮圧軍の指揮官であった陳横を捕虜にし、登用。軍師に任命。


198年6月。
孫策劉表の対立は激化。
孫策から和平の使者が来たので、これを容れることに。
あわよくば同盟して劉表を攻め、領土を広げたいところである。


今後の方針
(1)会稽・南海と本拠地・建安の南北に
   孫策軍がそれぞれ40000、
   60000といるので逆らわない(苦笑)
   早々に同盟を成立させ、柴桑の劉表の支配地域を攻め、
   領土・人材を拡大したい。
(2)会稽は我が軍と、陶謙軍に挟まれた飛び地である。
   ここが陶謙軍に占領された場合は、会稽占領も視野に入れる。
(3)我が軍は50000まで動員可能なレベルである。
   これを支える農業生産力まで開発を進める。