<今日の勤務>
月曜日のバイト=肉体労働、だったのですが、
男手が少なかったため、今日は肉体労働ではなく通常勤務でした。
<今日の三国志>
前回は、華南の一大勢力・孫策との同盟が成立したところまでであった。
201年2月。
曹操と、建安の西にある柴桑(陶謙領)を攻める盟約を取り付ける。
翌月、援軍を要請しながら60000の兵を柴桑に進めたのだが……
曹操軍、出てこねぇ!?
守備軍80000を半数以下まで削り落としたが、
占領まではいたらず、建安まで撤退。
すると翌4月、陶謙軍80000が建安に攻め込んでくる。
同盟関係にある孫策に救援を依頼し、共同で陶謙軍を撃退。
捕虜にした宇禁を登用する。
201年5月。
弱った陶謙軍、わが軍を尻目に、孫策軍が柴桑を占領。
これで、会稽、柴桑、南海と、自領・建安から通じる道はすべて
孫策勢力の支配下になった。
これで曹涼勢力は孫策勢力の真っ只中に取り残された形になってしまった。
3拠点、どこを攻めても、背後から虚を突かれる形に。
(1)孫策との友好関係は維持し、人材の登用に勤める。
(2)孫策勢力の北に展開する曹操勢力と同盟関係を結ぶ。
これで、将来的に曹操勢力を背後において、南進政策がとれるというもの。
先だって、曹操軍を期待したがために、柴桑占領に失敗、
あげくに孫策勢力渦中に取り残された形になっているが、
勢力を伸ばすためには、ここは致し方ないと判断した。
202年1月。
孫策との同盟延長。
203年1月。
孫策との同盟延長。
203年3月。
罵騰勢力から、ジュンイク、黄祖を引く抜くことに成功。
ジュンイクを軍師に任命。
これで支配下の武将が9人になり、かなり充実してきた。
203年7月。
在野から呂範を登用することに成功。